こんにちは、おちさぎりです。
バルセロナに1人でやってきて、今年で10年になりますが、
今でも、毎日の生活の中で、「びっくりすること」はたくさんあります。
その度に思うのは、こういう「びっくりする経験」がどれだけ私の人生を豊かにしてくれているか、ということ。
日本と違うからと行って拒否したり、バカにしていたのでは、いつまでたってもその国の生活には慣れないし、快適に生活することはとても難しいと思います。
もしも今、外国で生活をされていたり、外国人と多く接する機会があり「びっくりする体験」に戸惑っていらっしゃったら、この記事から何かヒントを得ていただけたらいいなぁ。
そんな気持ちを込めて、アップしています。
自分の中の「当たり前」に縛られず、自由に自分らしく生きる
というテーマで書いてみたいと思います。
「当たり前」が全く「当たり前ではない」ということ
先日ね、60代半ばのローカルカップルと、お話をする機会がありました。
ずーっと一緒に自営業をしていて、成功を収めた2人。
今はすでにお店をたたんで、ゆったりとしたリタイヤ後の生活を満喫されています。
もう40年以上連れ添ったご夫婦との会話に出てきた言葉が、とても印象的だったのです。
40年経っても、
私は、彼の冷静さがとても好きで感謝しているの
僕は、彼女のエネルギッシュでパワフルなリーダーシップをとても尊敬しているんだ
そんな風にお互いの素敵なところ、好きなところを本人を目の前にして(そして赤の他人も一緒にいる場で)
ごくごく普通に言えること。
そんなお2人を見て、とても素敵だなと思ったのはもちろんなのですが、彼女がね
歳を重ねるとね、みんなそれぞれ、どんどんマニアックになるのよ。私ももちろんそうだし、彼もね。
って。
この言葉にとっても共感したのです!
ここでいうマニアックというのは、「自分の中でのこだわり」「マイルール」という意味。
これはこうじゃなくちゃだめ
これはこうして当然
という、自分の中での「当たり前」というコンセプト。
私も、40歳を間近に控えて、どんどんマニアックになっていることを感じているのですが(笑)
それと同時に、「当たり前」に縛られてしまうことで、自分らしく自由に生きることが制限されてしまう、とも感じています。
自分なりのポリシーとか、こだわりを大切にして生きることは素敵だけれど、あまりにもそこにこだわり、フレキシブルな心を忘れてしまうと、自分で自分の首を締めてしまう。
なぜなら、そのがんじがらめな「当たり前」は、自分で自分に課している「枠」に他ならないからなのです。
「当たり前」に縛られずに生きることで得られるもの
冒頭でお話したように、今年で、バルセロナ在住10年になるのですが、今でも頻繁に「びっくりする体験」があります。
これまでにびっくりしたことを、ちょっとだけご紹介したいと思います。
- お料理するときに、果物ナイフサイズの包丁で準備をする(日本のような大きな包丁でお料理しているおばあちゃんやママを見たことがありません)
- お米は夜ではなく、お昼に食べる!
- お腹の調子が悪いとき、妊婦さんでつわりがひどいときには「コカコーラを飲みなさい」と言われる(笑)
- 家にネスプレッソのようなコーヒーメーカーが1台あるのはとっても普通
- オリーブオイルを使う量が半端ではない!(笑)
- 食事をする時間がとても遅い!(日本比)。スペインの場合、昼食は14時、夕食は22時。家庭によって違うものの、この時間割は結構普通。
- 夏になると「夏の営業時間」というのがあり、勤務時間が短くなる
- 8月はほぼ公共手続き関係はストップと考えた方が、ストレスフリーで生活できる
- 会社勤めをしている人は、有給を全部消化して当然!
- 結婚にこだわらず、家族として生活している人がたくさんいる
- 20代、、30代の結婚していない若いカップルも、同棲していることがとても多く、家やマンションを買う人もとても多い
(結婚していないのに、一緒に家を買うということに驚きました) - 養子縁組もとてもよくあるケースで、スペイン人の家族に、アジア系、アフリカ系、ロシア系の子供を迎えている家族がたくさんいる
- シニアと呼ばれる年代でも、元気に夜遊びする
などなど
まだまだあるのですけれど、日本にいた時の私の中の「当たり前」がガラガラと崩れる
バルセロナ生活での驚きの出来事でした。
今でも、まだまだ、私の中の「当たり前」に縛られているなーと感じることもありますが、
こんな自分の当たり前に縛られないことで、得られるメリットについてお話してみたいと思います。
視野を広げることができる
自分の中での「当たり前」に縛られてしまうと、その範囲でしか物事をみられなくなってしまいます。
仮に、その範囲の外のものをみたとしても、自分の当たり前に当てはめようとして、
違和感やイライラを感じてしまったりして。
自分の中の「当たり前」は自分の中のものであって、それと同じように、みんながそれぞれその人の「当たり前」を持っている
ということを自覚すると、あなたの視野がぐんと広がるし、感じる必要のない違和感やイライラを未然に防ぐことができます。
他人を受け入れ、豊かなコミュニケーションが取れるようになる
視野が広がることにも通じているのですが、自分とは違う「当たり前」を持っている人を目の前にしても、頭ごなしに否定したり、自分の「当たり前」に当てはめたくなる気持ちを感じなくなるので、人間関係・コミュニケーションが豊かになります。
あなたはそんな風に思うんだ
そういう考え方もあるのね
と、みんなそれぞれの「当たり前」があることを、興味深く面白いこと、自分にとってポジティブなことだと捉えられるようになります。
時々、こちらに住んでいる人でも見かけるのですが、
この国のありえないシステム!(日本だったらありえない!)
スペイン人のありえないこと!!(日本人だったらありえない!)
という気持ちを常に胸に抱えている人。
ちょっとしたハプニングがあると、こういう言葉を爆発させて頭ごなしに否定し始めます。
確かに、日本や(その他のシステムがきちんとしている国。笑)とは違って、適当なところもあるし、びっくり!なこともある国なのですけれど(笑)、ここに住んでいる以上、そんな言葉で否定をしても何も解決しないのに…と私は思います。
もしあなたが、「このタイプ」であっても心配しないでください。
その爆発させた言葉の裏側には、あなたが叶えたい大切な思いがあるからなのですよね。
貴重な時間を使って、準備をして手続きに来たのに、たらい回しにされて悔しい思いをした
本当は理解して欲しかったのに、真面目に話を聞いてもらえなかったことが悲しい
これはあくまでも一例ですが、きっとこんな気持ちが、その爆発させた否定の言葉の影に隠れているはず。
そこに気づいてあげることで、いつでもその態度は変えられます(もちろんご本人が変わりたい!と思っているときだけ)
何よりも、そういう態度って、その人自身にとってネガティブなものだし、知らないうちに周囲の大切な人まで居心地の悪い気分にさせてしまっているかもしれません。
特に、せっかく外国で貴重な経験をしながら生活をしているのに、もったいない!と思うのです。
何よりも自分が楽
自分の当たり前にがんじがらめになり、あなたの中でのマイルールにみんなを当てはめようとするのは、難しいこと。
だから、そんなチャレンジングな姿勢でいると、とても疲れてしまうのです。
それよりも、私は私、人は人の「当たり前」があるんだ。それでいいんだ、と思えることで、視野も広がり、色々な人とのコミュニケーションを楽しみ、何よりも自分の中の「当たり前」に縛られないことで、とても「楽」ですよね。
自分らしく生きることと、「当たり前」に縛られていることは違う
自分らしく生きることとは
私はこうしたい、こうありたいがクリアで
自分を人生の真ん中に置いて
自分で考え、選択し、行動し、自分の人生に責任を持っていること
だと思っています。
そのときにね、
自分らしさと、当たり前に縛られていることを混同してしまうと
なかなか自分らしく生きることには近づけません。
自分らしく生きる、ということは、他人を無視して、自分と違うものは拒否して、自分が正しい!素晴らしい!ということではなく(これではただの、傲慢な人)
私は私、人は人。それぞれ違っていいというスタンスで、まずは自分自身をリスペクトすることで、自分との関係を最高のものにし(セルフエスティームを磨くこと)、他人のこともリスペクト&アクセプトできるようになったときに、初めて成り立つものだと思っています。
だから、自分の「当たり前」にがんじがらめに縛られて、他人を拒否している限り、そこに「自由」は存在しないし
自分らしく生きていることとはほぼ遠いのです。
それでも納得できない!イラっとしてしまう!ときの解決法
それでもやっぱり、自分の中での「当たり前」や「マイルール」から、正反対の所にいる人の意見に触れると、心がざわっとしてしまうのも、自然なこと。
そんな時に、ただ
納得できない!
イライラするー!
と相手を頭ごなしに拒否するのではなく、もう少しあなたの気持ちを掘り下げてみて欲しいのです。
- あなたはどうしてそう思うの?と相手の「なぜ?」に触れてみる
そうすることで、最初の一言では見えてこなかった、相手の想いが見えてきて、そういう考えもあるのかーという「理解」への扉を開けてくれる可能性があるから - 相手の意見や考えを「そういう考えもあるのね」と受け入れることで、あなたはどういう気持ちになる?
もしかしたら、それは「敗北感」かもしれないし、「自分が正しくないと言われているようで嫌」かもしれない。
そこが少し見えてきたところで - その「気持ち」は事実ですか?
例えば「敗北感」であれば、本当にそこに勝ち負けがあって、あなたは負けたことになる?
「自分が正しくないと言われているようで嫌」であれば、正しくないと誰かに言われましたか?
そしてもし言われたとしたら、なぜそれを嫌だと思うのですか?
なかなか、「その場」でこのように考えてみることは難しいかもしれませんが、事後であったとしても、こうやって、自分の素直な気持ちに向き合ってさらにそこを掘り下げてみることってとても大切です。
掘り下げてみることで、
私、理解してもらえないことが悲しかったんだ
自分をダメ出しされているようで、不安な気持ちになるから、受け入れられなかったんだ
という風に、心がざわついてしまう原因を見つけてあげることができます。
そこがわかると、その後同じようなシチュエーションに遭遇して心がざわついたとき、
あ、私理解して欲しいんだ。私とおなじように、相手もきっと理解して欲しいはず。
あ、私ダメ出しされていると思っているんだ。実際に何もそんなことは言われていないのに。
と、真っ先に「拒否反応」を示すのではなく、豊かなコミュニケーションに繋げるためのレスポンスができるでしょう。
自分の中の「当たり前」にがんじがらめにならず、フレキシブルな心を持っていることで、コミュニケーション、人間関係が豊かになり、自由に自分らしく生きる人生がどんどん輝きを増していきます。
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